想像してみてください。
あなたは、結婚相談所を通じて、ある人との初めての出会いを約束しました。
少しの緊張と、淡い期待。実際会うとどんな人だろう、どんな話ができるだろう。
その日のために、時間をつくり、心を整えて、待ち合わせの場所へ向かう。
でも、その人は現れなかった。
理由は、ただ「日程を間違えていた」から。
悪気はないのかもしれない。でも、確かに、あなたの時間と気持ちは、宙に浮いてしまった。
その後、相談所の担当者から「もしよろしければ、再度日程を調整しますが、いかがでしょうか?」と連絡が来たとします。
さて、あなたなら、どう感じますか? そして、どうしますか?
「そんなこと、あり得るの?」
「真剣な活動なのに、信じられない」
怒りや失望が湧き上がるのは、ごく自然なことです。友達との約束とは、わけが違いますから。
でも、その一方で、もう一人の自分が、ささやきかけてくるかもしれません。
「ここで怒るのは、私が厳しいからだろうか」
「心が広い人なら、きっと『仕方ないですよ』と許せるはずだ」
「この“融通の利かなさ”こそが、私の欠点なのかもしれない」 と。
これは、実際にあったお話です。
ある女性は、この出来事に直面した時、最初こそ戸惑いながらも、次第にその矛先を自分自身へと向け始めました。
「これは、私の枠(ルール)の問題でもあるのかもしれない」と。
この出来事に、唯一の「正解」はありません。
もっと腹を立てる人もいるでしょう。
「まあ仕方ないか」と、すぐに気持ちを切り替える人もいるでしょう。
どちらが正しくて、どちらが間違っているという話ではないのです。
大切なのは、この予期せぬ出来事が、あなたの心の何を映し出したのか、ということです。
あなたが感じた「怒り」や「失望」は、本当にただ「約束を破られたこと」に対してだけでしょうか。
それとも、その奥にある「自分の時間や気持ちが、軽んじられた」という感覚に、心が反応しているのでしょうか。
あなたが考えた「自分の厳しさ」とは、本当に改善すべき「欠点」なのでしょうか。 それとも、これまであなたが社会で生きていく中で、自分を守るために身につけてきた、大切な「鎧」のようなものではないでしょうか。
「ちゃんとしなきゃ」 「適当な人間だと思われたら、信用を失ってしまう」
そうやって自分に厳しくしてきたのは、もしかしたら、本当はもっとゆるく、自然体でいたい自分を守るためだったのかもしれません。人に傷つけられないように。がっかりさせられないように。
「ちゃんとしなきゃモード」は、いつしか「信頼を損なわないようにしなきゃモード」へと変わり、あなたの心を少しずつ、息苦しくさせていたのかもしれません。
だとしたら、今、あなたが向き合うべきは、「相手を許すか、許さないか」という二択の問題ではないのかもしれません。
問うべきは、
・この出来事を通して、私は、自分の何に気づいたか?
・私が守ろうとしている「ルール」の正体は何か?
・本当の私は、本当はどうしたいのか?
相手の過ちをきっかけに、図らずも目の前に現れた、あなた自身の心の姿。
それとどう向き合うか。どう対話するか。
婚活とは、ただ相手を探すだけの時間ではないのかもしれません。 こうした予期せぬ出来事を通して、自分でも知らなかった自分に出会い、自分の人生をどうしたいのかを、改めて問い直していく。
もしかしたら、それこそが、本当の意味で「幸せな結婚」へとつながる、一番の近道なのかもしれません。